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追悼 松村昌家先生(英国小説研究同人 原英一)

我が国のヴィクトリア朝文化・文学研究の第一人者であった松村昌家先生が、2019年9月9日に逝去された。

私のような、先生とはあまり近くしくはなかった人間に追悼文を書く資格は、もとよりないのだが、関係する諸学会等の機関誌等に、没後一年以上経過した今日に至るまで、何も出ていないようなので、少しだけ書かせていただきたい。

松村先生と最初にお会いしたのは、まだ大学院生だった私が日本英文学会で研究発表をしたときだった。1975年の5月31日、場所は学習院大学。『リトル・ドリット』についての発表をした。司会は榎本太先生だった。発表後の質疑応答で、松村先生が質問をしてくださった。どんな内容だったのか、なにしろ初めての学会発表、緊張のあまり頭の中が真っ白、ほとんど覚えていない。たしか、「カーライルを読むべきだ」と仰られた気がする。ディケンズを論じるのであれば、ヴィクトリア朝の思想や文学の流れを意識しなければならないということだと私は受けとめた。それ以来、私のイギリス文学研究は歴史的視点を常に持つこととなった。松村先生は40代半ば、まだ20代の駆け出しだった私は、先生の放つ上品で清冽な知性の輝きに圧倒されたのだった。

松村先生の著作は、どれをとっても、とにかく読んで面白い。確固たる学問的基盤の上に立ちながら、少しも無味乾燥ではなく、読者は知的興味を刺激されて、ぐいぐいと引っ張られていく。この文章力は、とうていまねのできない卓越したものだ。『ディケンズとロンドン』(研究社、1981)、『水晶宮物語—ロンドン万国博覧会1851』(リブロポート、1986)、『ディケンズの小説とその時代』(研究社 、1989)、『十九世紀ロンドン生活の光と影—リージェンシーからディケンズの時代へ』(世界思想社、2003)などが代表作だろうか。日本文学への造詣も深く、『谷崎潤一郎と世紀末』(思文閣、2002)、『夏目漱石における東と西』(思文閣、2007)などの編著もある。

松村昌家先生は、神戸女学院大学教授、甲南大学教授を歴任され、最後は大手前大学教授・名誉教授であった。2001年に設立された日本ヴィクトリア朝文化研究学会では初代会長を務められた。

日本英文学会での出逢いから半世紀、今も松村先生の多くの著作は私の精神的支えになっている。ご冥福をお祈りする。

英国小説研究同人 原英一

by eikokushosetsu | 2021-02-05 13:39 | 英国小説研究同人