セント・パンクラスの夕べ(大石和欣)

大石和欣(同人)です。


今夏は渡英する予定がなかったが、調査の必要もありお盆前に急遽ロンドンへ飛ぶことになった。ブリティッシュ・ライブラリーのほかに、地下鉄ノーザン・ラインで南北に移動する必要もあり、 “Airbnb”でかろうじて残っていたカムデン・タウンにある安宿を借りることにした。ブリティッシュ・ライブラリーを北に向かって歩いて二十五分ほどのところに位置する。




カムデン・ロード

d0370785_11132608.jpg


実は以前からこのエリアの歴史に関心を持っていて、歩いてみたかったのでいい機会だと考えたのが投宿の理由である。さほど古い歴史があるわけではない。十八世紀末から急速に発達したロンドン北部郊外の一つである。もともとはケンティッシュ・タウンのマナーの一部でしかなかったのを、初代カムデン伯になったチャールズ・プラットが議会の承認を得て、一七九一年から開発業者に土地を提供し造成したものだ。宿泊したあたりにはありきたりのジョージアン様式の郊外住宅が、軒を並べている。




19世紀初頭と思われる郊外住宅

d0370785_11145524.jpg



だが、都市史において注目されるのは、すぐ南にできたエイガー・タウンである。十八世紀末にこの辺りの土地を購入したのがウィリアム・エイガーで、その名を冠した地域である。一八一二年から一八二〇年にリージェント運河が築かれた際に、自分の土地を横切ることに猛烈な反対運動を繰り広げ、許可の代わりに賠償金を手にする。その彼が一八三八年に亡くなると、未亡人がすぐに土地を開発業者に提供し、住宅街が造成される。ところが、二十一年という短い借地期間での土地提供は、開発業者にとって相当な安普請でもしないかぎり、コスト回収不可能な条件である。結果として、悲惨な生活環境の住宅街が造られ、スラム街としてヴィクトリア時代に悪名を馳せてしまうことになった。ついたあだ名が「おこり(ague)・タウン」である。




リージェント運河

d0370785_11153808.jpg

さらに、ミッドランド鉄道がロンドンに路線を拡張し、セント・パンクラス駅を構え、キングズ・クロス駅も隣に建造されると、鉄道敷設のためにこの辺りの住居は根こそぎ除去されてしまう。ディケンズが『ドンビーと息子』で描いた陰惨かつ破壊的な鉄道敷設工事の様子は、エイガー・タウンの状況が素材になっているという説は有力である。大げさに言えば、一夜にして街が線路の下に消えてしまったのである。詳細はジリアン・ティンドールの『地下に眠る野原』(GillianTindall, The Fields Beneath)に譲るが、郊外住宅として発達したカムデン地域全体も、鉄道敷設によってその面貌がひどく醜悪なものに変形してしまう。



二十世紀世紀に入ってもカムデンはけっして評判がいい地域ではなかったし、第二次世界大戦中にはドイツ軍の空爆(Blitz)も受ける。それでも戦間期にはカムデン・タウン派が印象派を独自に発達させた斬新な風景画を世に送り出したし、六〇年代からは新しい住宅区画エイガー・グローヴの建設がされ、七〇年代から現在にいたるまでマーケットを中心にサブカルチャーの「トポス」の一つとして、人びとを魅了している。



また二〇世紀末からは、セント・パンクラス駅北部の再開発の流れに乗って、エイガー・グローヴ区域はさらなる区画整備が進められている。カムデンからセント・パンクラスまで運河沿いに歩いてみると、エイガー・ロード、エイガー・プレイスなど「エイガー」の名を関した通りや地名は残るが、「エイガー・タウン」の残滓はもはやどこにも見られない。新しいフラットやオフィスが立ち並んでいるばかりである。




カムデン・タウン

d0370785_11170180.jpg



ふと気づくと目の前に古びた教会が見える。盛り上がった土地の上に、小ぶりだが由緒正しく品性ある趣きで佇んでいる。オールド・セント・パンクラス教会である。中世に起源を持ち、ノルマン時代風の石造りだが、実はその外観のほとんどは十九世紀半ばに改修・改築されたものである。ネオ・ゴシック様式が風靡していたヴィクトリア時代にあって珍しいネオ・ノルマン様式に改修された教会である。パーシー・ビッシュ・シェリーとメアリ・ゴドウィンが、メアリ・ウルストンクラフトの墓のある教会前の墓地で逢瀬を重ねて、駆け落ちした逸話もある。




オールド・セント・パンクラス教会

d0370785_11181435.jpg


カムデン・タウンとエイガー・タウン、そしてセント・パンクラスの歴史に想いを馳せながら、教会内の椅子に座って瞑想に耽っていると、いつの間にか夕方の礼拝が始まってしまった。古くは中世から、そして十九世紀の改修後も、脈々と継続されている日常の光景である。人は変われども祈りの姿に変わりはない。


礼拝後、外に出るとオレンジ色の夕日を受けながら二十一世紀の風景が目の前に広がっていた。ヴィクリア時代のスラムの一つは、目に見えない地下に安らかに眠っているのだろう。都市に霊魂があるとすれば、教会の礼拝はそうした埋没した街の鎮魂のためでもあるのかもしれない。秋の匂いがしはじめた風を受けながら、帰路についた遊歩であった。


[PR]

by eikokushosetsu | 2018-08-22 11:27 | 小説と芸術