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デレク・シアンフランス監督『光をくれた人』、フランス・ミュージカル『十戒』、Ruth Vander Zee作 Roberto Innocenti絵『エリカの話』

最近、よい映画を見て、

芋づる式に、よいミュージカルと

絵本のことも思い出したので、

三つともご紹介します。


まず、デレク・シアンフランス

監督の映画『光をくれた人』

The Light Between Oceans, 2016)↓


​光をくれた人


舞台は、第一次世界大戦後の

オーストラリア。

灯台守の夫とその妻の話。


あらすじを、大部分書きますので、

知りたくない人は、

読まないでくださいね。


第一次世界大戦から戻った

兵士のトム

(マイケル・ファスベンダー)は、

小島の灯台守になります。


母国では英雄扱いされますが、

トム自身は、「敵を大勢殺した」、

「仲間が命を落としたのに、

自分は生き残った」

という思いを隠し持ち、暗いです。


それでも岸側の村に住む

イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)と

恋に落ち、結婚して、

小島で二人で暮らすうちに、

光を取り戻していきます。


(二人は実生活でも、

映画の撮影後に、

結婚したそうですよ。)


順調な結婚生活でしたが、

嵐の日に、イザベラが流産。

また妊娠しますが、同じ結果に。


このタイミングで、

小島にボートが漂着します。


中には、金髪の男性の遺体と、

その人の子供らしき、女の赤ちゃんが。


イザベルは、流産の事実を伏せ、

この子を自分の子として

育てると言い張ります。


トムは、本部に報告しようと

しますが、妻のあまりの勢いに、

タイミングを失ってしまいます。


子供はルーシー(光)と

名づけられました。



ところが、トムが

間もなく真実を知ります。


ハナ(レイチェル・ワイズ)という

村一番の金持ちの娘がいるんですが、


ボートの中の男性は、

このハナのドイツ人の夫、

赤ちゃんは、

二人の子供のグレイスでした。


トムは思わず、妻に内緒で、

ハナに匿名の手紙を書き、

「赤ちゃんは無事です」と

伝えます。


ハナの気持ちを考えたんですね。


ハナは捜索を続けます。


夫婦は、ルーシーを大切に育てます。

ルーシーも、幸せいっぱいに育ちます。


でも、真実が明らかになるのも、

時間の問題でした。


ついに警察が来ると、トムは、

すべて自分一人がやったことに

しようと、妻に提案します。


ムとしては、

戦争から死んだようになって

帰って来た自分が、

思いがけず幸せになれた、


灯台での生活は、そもそも、

おまけみたいなものだった、

として、自分の人生には

執着がありません。


妻のイザベルは、わざわざハナに

匿名で知らせた夫がゆるせず、

夫の言うとおり、夫に罪を被せます。



実母ハナは、ルーシー(グレイス)と

暮らし始めますが、娘は懐きません。


ついに、ルーシーが、

失踪する事件が起きます。


ハナは、わが子が無事でいてくれる

だけでいいと、願います。


ルーシーは無事でした。

灯台のおうちに帰ろうとして、

眠り込んでしまったのでした。


ハナの脳裏に、

死んだ夫がよみがえります。


夫は、敵国ドイツの人だったので、

村で嫌がらせを受けていました。


ボートの中で亡くなったのも、

実は嫌がらせが遠因だったんです。


でもこの人は、「ゆるす」ことを

ルールにしていました。


(ここはすごく大事なんですけど、

回想シーンでさらっと行くので、

あわてました)


ハナは、ルーシーが無事だった

ことに感謝し、トムとイザベルを

ゆるすことにします。


こうして「ゆるすこと」が

連鎖していきます。


『ペイ・フォーワード』の

「ゆるし」版みたいな感じ。


ドイツ人の夫から妻ハナへ 

ハナから養母イザベルへ 

イザベルから夫トムへ 


そして最後に。。。

これは、言わないでおきますね101.png



ドイツ人の夫の

「ゆるす」習慣については、

私にはとても整理できませんが、


これとは別に、やはり

キリスト教的概念に関して、

長年もやもやしていたことが、

解決した気がするので、


私事ですが、

そっちについて書きます。


長年もやもやしていたのは、

あるチャプレンの

「愛に対象はいらない」

という言葉。


愛に対象はいらない


みなさま、わかりますか?

私には、よくわかりませんでした。


しばらくして、「愛する対象があるから

愛する」のじゃなくて、

「自分は愛する」で完結する、

自動詞的な態度のことかな?


よくいう「愛することを習慣にしよう」

ってやつかな?と思い、


今一つわからないけれども、

愛することは、

全体としてはいいことだろうから、

まあいいか、とうやむやになってたんですが、


この映画を見て、

自分なりに納得できた気がします。



トムとイザベルが、

ルーシーを手塩にかけて育てる、

美しいシーンを見ているうちに、


これがルーシーじゃなくて、

無事に生まれた

自分たちの子だったとしても、


きっと同じことをしたんだろうな、

と思ったんです。


つまり対象が、

自分たちの子供でも、

助けた子供でも、


愛するという行為は同じ、

誰でもよかった。

愛に「特定」の対象はいらない。


「目の前に差し出されたものを、

愛しましょう」、

それなら理解できる。


「きたものを、認めましょう」

までいけば、仏教的になって、

さらにわかりやすい。


キリスト教的には

「神様からのプレゼントを、

受け取りましょう」

になるんでしょうか。


マザー・テレサも、

自分たちのやり方は、

効率が悪いって言われるけど、


目の前に倒れてる人がいたら、

助ける、それ以外ありますか?って、

どこかで言ってました。



動物の話になって恐縮ですが、

ある人から、きいた話です。


行先のない犬や猫と

その里親候補を

マッチングする時、

まずは一回「お見合い」

するんだそうです。


里親になろうとしている人たちは、

最初は「黒猫のオスがいい」とか、

具体的な希望があるそうなんですが、


一回お見合いしたら、

希望と違っていても、


その子に決まることが、

ほとんどなんだそうです。


つまり、一度会ったら、

「あ、この子だ、この子以外

ありえない」って納得する、

つまり、対象は何でもいい。


ルーシーが小舟で流れ着いて、

トムとイザベルが助け、

我が子として育てるのを見て、


真っ先に思い出したのは、

「旧約聖書」のモーセでした。


「出エジプト記」によると、

エジプトの王は、へブル

(ユダヤ)人に男子が生れたら、

ナイル川に投げて殺すように

命じます。


モーセを生んだヨケベドは、

モーセをなかなか手放せず、

密かにかごに入れ、

ナイル川の葦の中に隠します。


それを王の娘が見つけ、

ユダヤの子と知りつつ助け、

モーセは王家の子として

育ちます。


フランスのミュージカル『十戒』

Les Dix Commandements)は、

そんなモーセの生涯を描きます。


上演は2000年。

Pascal Obispoの音楽が素晴らしく、

私はスタジオ録音とライブ録音の

両方のCDを持ってます。


動画サイトでも全編見られます。


スペクタクル・ミュージカル

「十戒」オリジナルキャスト

(スタジオ録音版)↓


スペクタクル・ミュージカル「十戒」オリジナルキャスト


このミュージカルの最初の方に、

Je laisse à l'abandon

という曲があり、


この曲を聴いていると、

モーセを拾った

エジプトの王の娘も、


『光をくれた人』のイザベルや、

犬猫の里親になろうとしている

人たちと、同じ気がするんです。


つまり、


あ、あそこに赤ちゃんが!

助けなきゃ(それ以外、ない)


あれ、これは、

うちの子では?(なーんだ)

育てましょ(当然だし)


みたいな感じです。


モーセは「出エジプト記」によると

「麗しい」赤ちゃんという設定ですが、


特に美しくなくても、

カリスマを感じなくても、

同じだったんじゃないでしょうか。


世俗的解釈ですが、私はそう感じます。


次のキーワードで

動画検索してみてくださいね。


王の娘がモーセを救う場面。

王の娘と、産みの親のヨケベドが、

それぞれの思いを歌います↓

「les dix commandements je laisse a labandon」



Oh Moïse」という曲では、

さらにモーセの兄と姉も加わり、

モーセへの思いを歌いあげます。


姉ミリアムの独特の歌唱法が

胸を打ちます↓

「les dix commandements oh moise」



このミュージカルの代表曲

Mon frère」もどうぞ。

大人になったモーセが見られます↓

「les dix commandements mon frere」



ミュージカル『十戒』では、

モーセの母ヨケベドは、

モーセを手放すだけで

精一杯でした。


ヨケベドがその時の

自分なりの最善を尽くし、


その後のモーセの運命は、

すぐに王の娘が引き取ります。


次に紹介する英語の絵本でも、

親が子供を手放します。


「対象が何であれ、愛する」

そんな人がいることを、

信じたんじゃないかと思います。


あらすじが大方わかるように書きますので、

読みたくない人は止めてくださいね。


Erika’s Story.

Written by Ruth Vander Zee.

Illustrated by Roberto Innocenti.

Jonathan Cape, 2003


Erika's Story


エリカは1944年生まれ。


正確な誕生日も、

家族のことも、

自分の本名も、

わかりません。


大人のエリカは、

自分が経験したはずの話を、

想像しながら語ります。


エリカの両親は、ゲットーから、

列車に乗せられ、

どこかに連れて行かれる

ことになりました。


どこに連れていかれるのかは、

よくわかりません。


でも家畜用の車両に

すし詰めで立たされ、

移動するうちに、


行き先は、どうやら

よくないところだと、

わかってきます。


そして、両親は、

決意し、実行します。


ある村を通り過ぎるとき、

毛布にくるんだエリカを、


人々が待つ踏切付近で、

少しでも衝撃が少ないように、

小さな草地めがけて、


列車の隙間から、

放り投げたのです。



エリカはどうなったか?


今、自分の話を語っている

ということは、

生きているんですね。


誰かがエリカを拾って、

エリカを育てることになる

女の人のところに、

連れて行ったのです。


誰もが命がけでした。


今回は「愛に対象はいらない」

をめぐる、きわめて私的な

感想になりましたが、


3つの作品自体は

傑作ですので、よかったら、

見てみてくださいね。


最後に、エリカのお母さんが、

エリカを放り投げるところを

引用して終わります。


"On her way to death,

my mother threw me to life."



by 川崎


by eikokushosetsu | 2018-02-09 19:55 | 映画と文学