アラン・グスポーナー監督「ハイジ アルプスの物語」(2015)とヨハンナ・シュピーリ作「ハイジ」(1880)

『ハイジ アルプスの物語』が上映中です。


ハイジ役の女の子が、宮﨑あ○いさんみたいで、可憐。


ハイジが笑うと、見てる方も嬉しくなり、

ハイジが泣くと、一緒に悲しくなるところも、

宮﨑さんの演技と同じ。


ドイツとスイスの合作だけあり、

フランクフルトのドイツ語と、アルプスのドイツ語の、

語彙や発音の違いも意識した、本格的な実写版です。


ハイジが「おじいちゃん」って呼びかける時の発音が、

めちゃくちゃかわいい。


映画には、原作の小説『ハイジ』(1880)と

違うところが、いくつかありました。


特に、病気や回復に注目して、3点書いてみます。


映画の内容を知りたくない方は、

この辺でストップしてくださいね。


原作はこちら。

J・シュピーリ『ハイジ』(1974年)矢川澄子訳

「福音館古典童話シリーズ」福音館書店↓




孤児ハイジは、アルプスのおじいさんのところに預けられ、

幸せに暮らしていました。


ある日、大都会フランクフルトに住むお嬢さま、

クララのコンパニオン(一緒に遊んだり勉強する人)

になるべく、無理やり連れて行かれます。


クララは謎の病気で、車いすに乗っています。

お母さんは亡くなっていて、お父さんはいつもお仕事で留守。


ハイジは、クララが少しでも快適に過ごせるように、

連れてこられたのですね。

実際クララは、ハイジが毎日騒ぎを起こすので、

退屈しなくなりました。


ところが、ハイジの方が、ホームシックで、

夢遊病になってしまいます。


実は、ハイジのお母さんも、

お父さんが事故死すると、ショックで熱を出して寝込み、

おかしな振る舞いをするようになって、亡くなっています。

ハイジの繊細さは、お母さん譲りであるという設定です。


ハイジを診察したクララのお医者さまの即断で、

ハイジはスイスに帰ることになります。



原作では、クララは、がっかりはするのですが、

すぐに納得して、おみやげの準備を始めます。


ここからが「原作と違うポイント1」です。


映画では、お父様から話を聞いたクララは、

人が変わったようになり、

テーブルの上の食器を床に落とし、声を限りに叫びます。



「私だって病気なのよ!」



確かに、クララだってつらかったんですよね。


山を離れてから始まるハイジの苦しみが、

あまりに長くつらいので、

ハイジがおうちに帰れるときいて、

原作の読者は、ただただ嬉しくなります。


他方、クララのことは、

物質的には恵まれている上に、

最初から車いすに乗っているキャラとして

固定化されているため、あまり考えられません。


クララの病気は、よくなることはありません

(少なくともこの時点ではそう思われてる)。


他方、ハイジの病気は、山に帰れば、

よくなる可能性がある。


障害と病気の違いが、浮き彫りになる瞬間。


クララのために、ハイジが病気になっていいのか。

ハイジが治れば、クララが車いすのままでも、いいのか。

二人とも幸せになる方法は、ないのか。


そもそも、二人とも、治らなくちゃいけないのか。

幸せって、治ることなのか。


1850年代から最近まで、

歩けない登場人物の出てくる児童文学では、

問題の解決は、たいてい治るか死ぬかの、

どちらかだったことについて、この本が考察しています。


ロイス・キース

『クララは歩かなくてはいけないの? 少女小説にみる死と障害と治癒』

藤田真利子訳、明石書店、2003年↓




障害と病気の回復をめぐる難問を、

小説『ハイジ』は、宗教で解決します。



クララのおばあ様が、ハイジに言い聞かせた

「神様は、最後にその人の一番いいようになるように、

とりはからっているの」という教えです。


クララが歩けるようになった時、

ハイジはこの教えが本当だったと、納得します。


フランクフルトではつらかったけど、

そのお蔭で、本が読めるようになったし、

ペーターのおばあちゃんに白パンをあげられるし、

おじいちゃんも牧師さまや村の人たちと仲直りしたし、

クララも歩けるようになったし、


お祈りを忘れないでいれば、

最後には最大の恵みをもらえるんだ。


映画の方でどう解決するかについては、

この後話すことにして、にいきます。


原作では、クララが歩こうとするのは、

ハイジを訪ね、ペーターや山羊たちと一緒に、

山の上の方で過ごした時のこと。


ハイジは、ちょっと遠くにあるお花を、

見に行きたくなりました。


そこで、クララが、一人ぼっちにならないよう、

草を用意し、山羊のユキンコを連れて来ます。


ユキンコは、お母さんが売られていなくなって、

泣いてばかりいる子ヤギ。

(不思議に、長らく子ヤギのままですが、まあいいですね109.png


弱虫&泣き虫のユキンコに草をあげながら、

クララは他者を喜ばせる喜びを、初めて味わいます。

そして、自分も人に助けられるばかりでなく、

人を助ける人になりたい、と思います。


クララはこの直後に歩く練習を開始します。



ここからが「原作と違うポイント2」です。


映画では、ユキンコらしき白い子ヤギが、

クララの視点らしき角度で映し出された後、

クララの足に、蝶がとまります。



その蝶の動きに誘われるようにして、

クララが立ち上がり、

これがきっかけで歩けるようになります。


蝶は復活や魂の象徴ですから、

クララの足に蝶がとまることは、

足の機能がちゃんとあるよー、

というお知らせでしょうね。


ユキンコのお母さん代わりをして、

クララが人のためになりたいと思うのは、

よくも悪くもヴィクトリア朝的な、

女性の母性を前提とした展開ですから、

蝶によるメッセージの方が、現代的といえますね。



いよいよ最後の「原作と違うポイント3」です。


ハイジは、今では村の学校に通ってますが、

ある日、先生が将来何になるのか、生徒にきいていきます。


当時は、今以上に、靴屋の息子は靴屋に、

パン屋の息子はパン屋になる時代。


これという職業のないおじいさんの孫で、

さらに女の子でもあるハイジは、

ちょっと迷ってから、「作家です」と答えます。

(笑われるけど)


映画の最後に、クララのおばあ様が山に来ます。


おばあ様は、ロッテンマイアさんが

「この子はおかしい」と訴えても、

ハイジが賢い子であることを見抜き、

ハイジに、読み方や、キリスト教徒としての心構えを教えた人。



そのおばあ様が、ハイジに本をプレゼントします。

開いてみると、

本の中身は、白紙でした。



驚くハイジに、おばあ様は、

「あなたがお話を書くのよ」と励まします。


そう、映画では、ハイジが将来作家になることが、

ほのめかされているのです。


これは原作にない完全な創作で、驚きました。


でもよく考えると、「神のはからい」で、

お話全体を総括するのは、

現代のグローバルな観客にとっては、説得力が弱め。



原作では、おじいさんが死んだ後、

クララのお父さまや、クララのお医者さまが、

ハイジを援助する取り決めがされますが、


これだけ素晴らしい資質を持つハイジが、

お金持ちの男の人に庇護されるという将来設計も、

現代ではちょっと苦しい。


そうすると、シュピーリ自身がそうであったように、

ハイジが作家になるという可能性は、それなりに現実的で、

ハイジのハイジらしさも失われない、よい解決では?


そして原作では、クララが歩けるようになることが、

物語の最大の解決になっていましたが、


映画では、最後にハイジの未来という解決を

もってくることで、相対的に、

過去の山場であるクララの治癒がかすみます。


映画の方も、確かにクララの回復を描いているのですが、

こうすることで、結果的にですけれど、

治癒イコール絶対的な善、という図式が弱まっています


このように、映画は、1880年に出た『ハイジ』の、

現代的な修正版になってます。



一応研究者なので、思わず分析してしまいましたが、

見られてよかった、というのが、一番の感想です。

製作・上映に携わったみなさま、ありがとう102.png


By 川崎


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by eikokushosetsu | 2017-09-12 20:46 | 映画と文学